竹内宿禰命について

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皆さんは近くの神社に初詣をしましたか?
私の家の近くには宇部神社があり竹之内宿禰命が祭ってある。

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武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)は第十二代景行帝より、成務・仲哀・応神・仁徳帝の五朝にお仕えされ、
まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東奔西走、日本の統一に尽力されました。
わが国で最初に『大臣』の称を賜り、総理大臣の祖ともいえる国の功神です。
命はまた進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられました。
特に仲哀天皇・神功皇后を補佐して北九州に出陣されご活躍になったことは有名で、
ご幼少の応神天皇(八幡さま)を抱き奉る姿は五月端午の節句に掲げる幟の絵柄となっております
当社(宇部神社)は、孝徳天皇大化四年(648)の創建と伝えられ、
延喜式では県下唯一の名神大社、また一ノ宮として崇敬篤く、明治四年には国幣中社に列せられました。

現在の社殿は、明治三十一年に完成しましたが、
翌三十二年には全国の神社で最初に、命の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、
以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となりました。

おかねに御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣が絶えません。
 (*宇部神社説明書より)

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 竹内宿禰命は、神功皇后(女帝)と共に朝鮮出兵をする途中今の岡山に来た時
ここ国府町で反乱が起きその反乱を鎮め
国府町(=因幡;いなば)に住み着いたと言われている。
山のふもとで甑(こしき)を炊いて勝利を祝ったのでその山を甑山と呼んでいる。
その甑山のふもとで私が生まれた。

 竹内宿禰命の子孫は伊福部(いふくべ)氏と名乗り明治時代はじめまで
宇部神社の神主を勤め今は東京に住んでおられる。
その45代目の伊福部昭氏は東京音楽大学の学長を務めゴジラの映画音楽を作曲している。
日本海新聞が、伊福部昭氏をインタビューした記事には
「先祖が大伴家持(万葉集を編集した国司)と飲み会をしていたと思うと感無量です。」
と語っておられた。
その伊福部家は、代代朝廷で伊福部と言う食事を司る要職に就き国府町と朝廷は深いつながりがあった。

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 竹内宿禰命の孫である平群真鳥(へぐりまとり)は、武烈天皇(ぶれつてんのう)の命令を受け
古代文字で書かれたの歴史文章を漢字かな交じり文に書きなをしている。
これが今論争の種になっている超古代の歴史書「竹内文書」です。
この竹内文書に付いて書くと膨大な書物になります。
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by WAC06068 | 2005-01-05 17:53 | 鳥取県の歴史
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