美保関事件

 18日夜台風の事でニュースを見ていてチャンネルを変えたら
「美保関事件を知っていますか」と言う番組をしていました。
戦史の本は、かなり読みましたがはじめて知ります。
美保関は、鳥取県境港の向かいにある島根半島の日本海側にある港です。
昭和2年島根県美保関沖で日本帝国海軍総動員で演習中4隻の戦艦が
衝突し大惨事が起きたそうです。

 演習は、暗闇の中で敵戦艦に接近して魚雷を発射すると言う練習でした。
今はレーダーなどがありますが、暗闇の中なので演習相手の戦艦を認識できず
衝突事故になりました。それだけの事件にもかかわらず軍事機密として報道は禁止され、
敗戦後資料写真は、アメリカが持ち帰り世間に知られる事はありませんでした。。

 今でこそ日本は、落ちぶれていますが、戦前の日本人は、
世界の指導者が、驚くほど勤勉で勇猛果敢だったと聞いています。
今では考えられない訓練を行いその強さは、世界最強でした。
さすがに国力の差には、勝てなかったようです。

 ところで私が、気になるのはこれだけの事件であれば戦史どころか日本史に
出てくるほど重要な事です。
それが歴史から隠され今の時期に表面に出てくるのは、
歴史の流れの中で犠牲になった魂が、叫んでいるのではないだろうか。
と思わないではいられないのです。

 歴史の変わり目に英霊達は、何を訴えようとしているのでしょうか?



(2チャンネル掲示板より:Yahoo検索)
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【島根】昭和初期の軍艦沈没「美保関事件」 謎調査27年ぶり復刻本[051220]

◇昭和初期の軍艦沈没「美保関事件」 謎調査27年ぶり復刻本

昭和の初め、深夜の松江市美保関町沖で軍艦4隻が衝突する「美保関事件」という
海軍史上空前の大事故が起きた。沈没した駆逐艦の艦長の遺児、
五十嵐邁(すぐる)さん(81)(横浜市在住)が、謎とされてきた事故を
克明に調査して描いた「黒き日本海に消ゆ」が、「美保関のかなたへ」と改題して、
27年ぶりに角川学芸出版から復刻され、近く書店に並ぶ。松江市の
松江観光文化プロデューサー高橋一清さん(61)の働きかけで実現した。

1927年(昭和2年)8月、美保関の東北東32キロ沖の日本海(水深33メートル)で、
夜間演習中の駆逐艦2隻に別々の巡洋艦が激突し、120人を超える犠牲者が出た。
特に、巡洋艦「神通」と衝突した駆逐艦「蕨(わらび)」は92人が海底に沈んだ艦と
運命をともにした。艦長の五十嵐恵少佐ら3、4人は遺体で見つかったが、
ほかは今も海底という。「父の顔や姿は覚えていない」という五十嵐さんは、当時3歳。
書き残したいと、大切に保存していた事件に関する新聞記事や、生存者や遺族らから
聞いた話などを基にしたノンフィクション小説「黒き日本海に消ゆ」を、
半世紀後の78年11月に講談社から出版。85年に自費出版した3刷を最後に絶版になった。

再び光を与えたのは元文藝春秋臨時増刊編集長の高橋さん。
4月から松江観光文化プロデューサーとなり、「事件の重要性などを
問い直したい」と五十嵐さんに会って出版を働きかけ、「一任」を取り付けた。
当初は小説化を予定し、直木賞作家の中村彰彦さんに依頼したが、
「新資料がないと原書以上は書けない」と言われて復刻を決めた。

文庫本で288ページ。改題で、装丁と、原書にも付いた作家阿川弘之さんによる
帯紙の内容も変えた。五十嵐さんは「大変感激しています。事件から78年がたつのに、
地元の皆さんが今日まで思い出して下さり、私にはもう一つの出生地があるように
懐かしい気持ちがします」と話している。

中村さんは解説を担当。「日本海軍が(英米に対する)絶対的不利を克服するには
猛訓練につぐ猛訓練が必要とされ、それが夜間における無灯の演習という無謀な
プランとなって事件を引き起こした。そう語る著者の筆には説得力があふれ」などと紹介している。

夜間雷撃は帝国海軍水雷戦隊が尤も得意とした戦法。
夜間、無灯火のまま敵艦隊主力に30ktの高速で肉薄し、必殺の93式酸素魚雷を発射する。

ソロモン海域での第2水雷戦隊の華々しい活躍は、モリソン戦史にも特筆されている。


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by WAC06068 | 2006-09-24 17:08 | 鳥取県の歴史
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