羽柴秀吉による鳥取城攻め

【 鳥取東中生徒が、「秀吉の兵糧攻め」模型を作製。】

豊臣秀吉による鳥取城攻め(一五八一年)の様子を立体的に表現した模型を、
鳥取東中学校(鳥取市立川町六丁目、木下洋広校長)の希望館分教室に通う
生徒らが作製した。
秀吉勢の陣の位置を示し、三万もの大軍で鳥取城を囲んだ兵糧攻めの状況を
再現している。 歴史の教科書に出てくる有名な史実に加え、関連する地域の
歴史も好きになってもらおうと、社会科授業一環で実施。講師の井上努さん(30)の
指導で、同教室の生徒三人が放課後も使って半年がかりで仕上げた。

 二万五千分の一の地形図を拡大コピーし、等高線に沿って段ボールをカット。
何枚か重ねて高さを出し、紙粘土を塗って久松山や本陣山周辺の山々を表現した。
秀吉勢の陣の位置は平地部分で一部明らかになっていない部分があるものの、
図書館で借りた資料を参考に記入していった。
 完成した模型は縦二・二メートル、横二メートルの大作。山中や海上も含めて
周囲約十二キロという距離で取り囲み、鳥取城を八方ふさがりに追い込んだ
秀吉の手法に思いをはせることができる。

 生徒の一人は「段ボールを切るのに苦労したが、半年間頑張ってよかった」と
自信をつけた様子。木下校長は「一生懸命取り組んで、積極的に表現してくれた。
生徒たちの今後の成長につながると期待している」と評価していた。
(日本海新聞 2007・11・14)

http://www.nnn.co.jp/news/071114/20071114008.html



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戦国時代鳥取市北にある久松山鳥取城に毛利家重臣吉川 経家が、立てこもり
羽柴秀吉を迎え撃った。

http://www.torikyo.ed.jp/tottorisizenn/T251.htm

難攻不落の城なので秀吉は戦争を始める前に鳥取市内の米を高値で買い集め
鳥取城を包囲した。そろそろ城の食料が、なくなるはず・・・なのにその気配がない。
城の近くに住む老婆に小判を与えると城の秘密を話した。
「毛利は、賀露港に船で米を運び地下の抜け道から城に運んでいる。」
抜け道は、すぐに発見されて封鎖される。
やがて城内は、人肉を食べるほどの餓えに襲われ、それを見かねた吉川 経家は、
「家臣の命を助けるなら切腹する。」と合意して33歳(確か?)の生涯を終える。
その後秀吉は、岡山県高松城の攻撃に取り掛かる。
そして明智光秀との戦争とめまぐるしく歴史は、動いたようです。

Wikipedia 吉川径家

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今日は寒いです。皆さん休日をどの様に過ごしていますか。

寒くなると大根やネギが、美味しくなりますね。おでん・かに鍋が楽しみです。
今年は寒いのでこの前の冬が暖冬だったのに比べると椎茸が、豊作になりそうです。
バター焼きにしたジャンボ椎茸のステーキが、楽しみ!
スーパーでは、松葉ガニと共に近海で獲れた30cmくらいの真鯛が手ごろな価格で
売られていて塩焼きにしたり楽しみです。塩焼きにした真鯛は、鍋に入れると
素晴らしい出汁(だし)になり冬の味覚を引き立てます。
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by WAC06068 | 2007-11-18 21:16 | 鳥取県の歴史
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